小林秀雄 「私の人生観」より
釈迦は、菩提樹の下で、縁起法というものについて悟る処があったと
言われている。無論、専門の学者にはいろいろと議論があるに違いな
いと思うが、平ったく言えば、縁起法とは因果の理法のことだ、と言
ってよかろうと思います。

言うまでもなく、これは、人生は果敢無いという事について、感慨を
催すという様な事ではない。人間の事業も、人間の喜怒哀楽も、さら
に、さようなものは果敢無いとか果敢無くないとかいう一切のもっと
もらしい人間の思想も、凡て、此あれば彼あり、此滅すれば彼滅すと
いう非人間的な因果の法に帰する。更に又、帰するところ、かような
法こそ真実だと考える主体も亦、縁起の一法に過ぎないとする。
諸法無我である。一切は空である。(中略)

釈迦の哲学的思弁が、遂に空という哲学的観念を得たのではない。
いや、それよりも、彼にとって、空とは哲学的観念と呼ぶべきもので
はなかったでありましょう。ただ、彼の絶対的な批判力の前で、人間
が見る見る崩壊して行く様を彼は見たのだ、といったほうがよい様に
思われる。(中略)

諸行無常の思想が釈迦を見舞ったと同じ頃、ヘラクレイトスは万物流
転ということを考えていた。釈迦を観念論者と呼ぶことが出来ない様
に、ヘラクレイトスを唯物論者と呼ぶことは出来まい。(中略)

二人とも、何物にも囚われず、徹底的に見、徹底的に考えることによ
り、当時の宗教や道徳や哲学からはるかに遠くへ行って了った人と想
像されるのであって、その点では、釈迦も亦、ヘラクレイトスの様に
「暗い人」だったでありましょう。ただ、彼は、ヘラクレイトスの様
に「泣いている智者」とはならなかった処が異る。

私の勝手な想像でありますが、釈迦の空とは、ヘラクレイトスの火の
如きものではなかったかと思うのです。前者は内省からはじめたかも
知れぬ、後者は自然の観察からはじめたかも知れぬ、いずれにしても、
人間的な立場というものを悉く疑って達したところには、空と呼ぼう
と火と呼ぼうと構わぬが、人間には取り附く島もない「無我の法」が
現れたに相違ない、という風に思われるのである。

彼等にすれば、かように思考するに至ったという事は、即ちかように
知覚するに至ったという事だ。ヘラクレイトスが岸辺に遊ぶ子供に火
を見た様に、釈迦は、沙羅の花に空を見たでしょう。そういう彼等の
決定的な知覚が、空は経典註解者の手に渡り、火はストア派哲学者の
手に渡り、どうにでも解釈出来る哲学的観念と変じた、と言えないで
しょうか。

無我の法の発見は、おそらく釈迦を少しも安心などさせなかったので
ある。人間どもを容赦なく焼きつくす火が見えていたのである。進ん
で火に焼かれる他、これに対するどんな態度も迷いであると彼は決意
したのではあるまいか。不死鳥は灰の中から飛び立たぬ筈があろうか、
心ない火が、そのまま慈悲の火となって、人の胸に燃えないと誰が言
おうか。それが彼の空観である、私にはそういう風に思われます。